粒屋城の築城
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津板国の大体のところは丹銭元年に、風呂我国の宇炒亜蒸(ういりあむす)氏によって創られました。
そして、宇炒亜蒸氏は新たな御出尾国として最前線である現在の粒谷区役所正面あたりに津部野城の基礎を築き、丹銭6年に御出尾国を津板国と改め広く門を開きました。
時は移り、津板国の日本での勢力を強めるために弐扇8年に富谷国車庫城主林田郁秀が同盟を表明。4月には津部野城の手前の土地に新たに築城し、天下は統一に向けて動き出していきます。この城が現在も変らぬ姿で皆に知られる粒屋城です。
粒屋城が築かれる予定だった場所は、粒谷台地の端で、後ろは粒焼岳が聳え三の丸脇には粒谷渓谷、その手前には時流川、そして粒谷湖が守る天然の要害で難攻不落の場所でした。しかし、実際に築城されたのは、広大な粒谷平原の大体ど真ん中あたりぐらいの所でした。
粒谷平原は大規模な城下町を建設できるべたでどべっと大きい広がりがありました。粒屋城築城は、軍事面がゆるいのを狙った訳ではなく、文化や交易の栄える民の交流が盛んな新しい都市の誕生を先取りしたものでした。
最終更新日: 2009-10-29 (木) 19:48:30 (315d)